不妊治療の開始にあたって

私は、不妊治療を2024年まで1年半ほどしていました。開始したとき私は43歳10ヶ月。
なぜそんな無謀な挑戦をしたのか、そこから私は何を得たのか、生まれ直しのタイミングをつくってくれた不妊治療についてこれから記していきたいと思います。

妊娠はしなかった

初めにお伝えしておかなくてはならないのが、私は妊娠しませんでした。
なので、高齢なのになぜ妊娠したかを知りたい方は、他の成功された方のブログを参考にしてください。

でも

やはり治療が私にとって人生のターニングポイントでした。
そう、(きっと)妊娠した時と同じくらい・・。

それには、治療開始になるまでの私の身体や心の状態を、先に知ってもらう必要があるので、まずそれから記させてください。

身体の状態

私は、不妊治療に入る前、妊活を7年程していました。
なにをもって”妊活”というかは人それぞれかと思います。

私の場合の”妊活”は、身体を温めたり、カフェインを摂らない。
そして思いついた月に、たまに病院で排卵日を調べてもらってタイミングをとる程度でした。
基礎体温計を買うも、検温忘れの時が多く3ヶ月ほど続けて終わり、思い出してまた数か月検温する・・といった具合でした。

きっとこれは、私が初潮になってからこのかた生理に悩まされたことが無かったからだと思います。
28日周期でちゃんと生理がきて、生理前に少しだるくなる程度でPMSという程ではなく、生理痛もありませんでした。
そんな恵まれた身体だったのをいいことに、女性性についても妊娠の情報についても大変無頓着でした。

「本気出したらいつでも産める」くらい悠長に考えていました。

夫との関係

私は35歳の時に結婚しました。

結婚直後、夫の母に「早く子供産みなさい」と言われたのをきっかけに夫に尋ねると、「子供が欲しくて結婚したわけじゃない。独身のままの人生設計も視野に入れていたくらいで、出来たらできたでよいし、いなくても問題ない」とのことでした。

私の心境

夫の返答を受けて、私は正直ホッとしました。
まだ結婚当初は全く妊娠を考えていませんでした。
転職をしたばかりでしたし、何より15年以上一人暮らしをしていたので、誰かと一緒に暮らす新生活に戸惑っていました。

また結婚で新しい親戚が出来たことも大きな環境の変化でした。
義弟は既に結婚し子供も2人いました。
「子供がいて一人前」という家風や、義弟家族に全て合わせて当然という風習が、他人であった私には合いませんでした。
新しい家族として迎え入れてもらえると思い込んでいたのに、子供が出来るまで居ても居なくてもよい存在として軽く扱われた事に傷ついた、と今なら分かります。

ただ当時は潜在的に、傷ついている状態の自分を認めたくなかったからか、”怒り”となってドンドンこじらせていくようになりました。

もともと仕事をする事が好きだった私は、仕事に執着していきます。
子供が好きだった私は、子供の声を聴くとイライラするようになっていきます。
母親をしている女性をみて「子育てしか取柄のない人たち」と同情するようになっていきます。
そしてそんな私を一番軽蔑しているのは私です。
当時、そんな自分のことを『精神的不妊症』と名付けていました。

それでも妊娠のことさえ考えなければ、私は環境に恵まれていました。
夫との関係・仕事での人間関係・プライベートでの友人関係、全て充実していました。
色々な世界を持っていたから、腐りきらなかったのかと思います。
たまに発作のように『精神的不妊症』の症状があらわれ、数日ぐったりする程度ですみました。
でも、逃げ続けれたからこそ、とんだドタバタ不妊治療開始になったともいえますが(笑)

こじらせ切っていた43歳の時、私に鉄槌がくだります。
あれは本当に愛の鉄槌、私のターニングポイントです。
では、このお話は次回させていただきます!

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